「山科の記憶」に重ね、
この桜は
一体ここで
何年生きて
来たのだろう
と思わず
聞きたくなる
咲きたての淡く薄い花びらが
小刻みに風に揺れる様を見ていると
余りにも可憐で美し過ぎるからだ
若木の桜も老樹の桜も変わりなく思うけど
何故か古木が咲かす花は慈愛に満ちて見える
ここは山科、山科川の辺
いつもは卯月に入り、開花を見かけたが
今年は一気に咲いて、すでに8分咲きだ
この古木の下に志賀直哉「山科の記憶」の碑がある
川の水はキラキラと光を映し、名知らぬ鳥が囀る
どこからか漂う芳香は‥沈丁花の残り香か、
"いつ、紫香楽に移るか"、と考えれば
この桜風情も、わが「山科の記憶」になるのだろう
名残惜しい気がするのは、ただ、ただ花の性でなく
わたしの単なる「感傷」なんだろう
(=`´=)弥生晦日は「大和路の春」、ナンちゃって
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