安曇野 秋の光
斜光に一葉、桜の紅葉が落ちていました。安曇野 碌山美術館の庭の裏手にある高村光太郎レリーフの碑です。
荻原守衛
単純な荻原守衛の世界観がそこにあつた、
坑夫、文覚、トルソ、胸像。
人なつこい子供荻原守衛の「かあさん」がそこに居た、
新宿中村屋の店の奥に。
巌本善治の鞭と五一会の飴とロダンの息吹とで荻原守衛は出来た。
彫刻家はかなしく日本で不用とされた。
荻原守衛はにこにこしながら卑俗を無視した。
単純な彼の彫刻が日本の底でひとり逞しく生きてゐた。
――原始、
――還元、
――岩石への郷愁、
――燃える火の素朴性、
角筈の原つぱのまんなかの寒いバラック。
ひとりぽつちの彫刻家は或る三月の夜明に見た、
六人の侏儒が枕もとに輪をかいて踊つてゐるのを。
荻原守衛はうとうとしながら汗をかいた。
粘土の「絶望」はいつまでも出来ない。
「頭がわるいので碌なものは出来んよ。」
荻原守衛はもう一度いふ、
「寸分も身動きが出来んよ、追ひつめられたよ。」
四月の夜ふけに肺がやぶけた。
新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして
荻原守衛は血の塊を一升はいた。
彫刻家はさうして死んだ――日本の底で。
高村光太郎が昭和11年の『詩洋』に寄稿した詩です。
言葉で例えようもなく 鮮烈な美しさを心に刻まれた 安曇野 秋の光でした。
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