2015年03月31日

「山科の記憶」に重ね、

この桜は

一体ここで

何年生きて

来たのだろう

と思わず

聞きたくなる



咲きたての淡く薄い花びらが

小刻みに風に揺れる様を見ていると

余りにも可憐で美し過ぎるからだ

若木の桜も老樹の桜も変わりなく思うけど

何故か古木が咲かす花は慈愛に満ちて見える



ここは山科、山科川の辺

いつもは卯月に入り、開花を見かけたが

今年は一気に咲いて、すでに8分咲きだ

この古木の下に志賀直哉「山科の記憶」の碑がある

川の水はキラキラと光を映し、名知らぬ鳥が囀る

どこからか漂う芳香は‥沈丁花の残り香か、



"いつ、紫香楽に移るか"、と考えれば

この桜風情も、わが「山科の記憶」になるのだろう

名残惜しい気がするのは、ただ、ただ花の性でなく

わたしの単なる「感傷」なんだろう





(=`´=)弥生晦日は「大和路の春」、ナンちゃって


同じカテゴリー(ふるさと)の記事画像
美しき六月、花日記
冬の光、風景を集めて
冬なればこそ
しがらき朝な夕なに
陶の里風景は 五行歌
京都でふらふら・・
同じカテゴリー(ふるさと)の記事
 美しき六月、花日記 (2018-06-16 00:02)
 冬の光、風景を集めて (2018-01-23 17:51)
 冬なればこそ (2018-01-16 00:02)
 しがらき朝な夕なに (2017-08-29 00:02)
 陶の里風景は 五行歌 (2017-05-15 00:02)
 京都でふらふら・・ (2017-03-08 21:16)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。